子どもと平和の委員会

ロシアのウクライナ侵攻について、アメリカで思ったこと (小手鞠るい)

いちばんに思ったことは「アメリカに、介入して欲しくない」ということだった。戦争が嫌いだったトランプにもいいところはあったな、とも思った。これは、私がかれこれ30年以上もアメリカで暮らしてきたことと大いに関係している。もしも日本で暮らしていたら「アメリカに介入してもらって、戦争をやめさせて欲しい」と思ったかもしれない。

 

なぜ、アメリカに介入して欲しくないのか。この理由も、日本在住の人たちにはちょっと理解し難いかもしれない。ストレートに書くと、私は、アメリカの若者たちに、戦場で死んで欲しくないと願っている。ここで言う「若者たち」とは、アメリカの軍人たちである。アメリカの兵士たちは、アメリカから遠く離れた場所で、命を落としてきた。ヴェトナム、イラク、アフガニスタン・・・そしてこれから、ウクライナで死ぬことになるのかと思うと、私は居ても立ってもいられなくなる。

 

なぜなら、私には、アメリカの若い兵士たちの顔がひとり、ひとり、見えているからだ。かつての日本で、特攻隊の兵士の顔が見えていたように。アメリカの軍人は、常に私たちの身近にいる。姿形がはっきりと見えている。笑顔も見えている。礼儀正しい態度も、優しい性格も、凛々しい性格も、人それぞれに魅力的だ。そのような若者たちに、私は無駄死にして欲しくない。切にそう願っている。

 

兵士の顔が見えているかどうか。これは、戦争に対して、どう反対していくかに関する大きな鍵ではないだろうか。今の日本人には、自衛隊の人たちの顔は見えているのだろうか。アメリカが参戦したら、自衛隊の兵士も戦争に行かなくてはならなくなる。自衛隊の戦死者が出たときに、日本は初めて「集団的自衛権」の重さに気づくのだろうか。

 

すべて、無知な素人の考えていることである。しかし私は、ロシアのウクライナ侵攻に際して、ロシアから駆り出されている若者たちの「顔」を想像してしまう。「ロシア」ではなくて、ロシアの権力者に対して、抗議をしなくてはならないのだと思う。一般市民同様、兵士もまた、死なせてはならない子どもたち(←比喩としての言葉です)なのである。(20220227)

2022/02/28