藤田のぼるの理事長ブログ

8月8日、「ランドセルをしょったじぞうさん」を見てきました

【残暑お見舞い】

「暑い」としか言いようのない日々ですが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。このブログ、季節を一つまたいでしまいました。7月の終わりまで出講している大学の授業があり、レポート採点も終わって、ようやく一段落というところです。

【古世古和子さん主宰の追悼集会に】

そんな8月8日(土)、協会の名誉会員である古世古和子さん主宰の(そして事実上の主催でもある)法要と講演会の集いに参加するため、八王子まで行ってきました。古世古さんの作品に『ランドセルをしょったじぞうさん』という作品があり、これは戦時中の疎開児童がアメリカの戦闘機の機銃爆撃で亡くなったことを題材にしています。当時は、八王子周辺は、「疎開する」方ではなくて、「疎開される」方の土地だったのですね。品川の小学生たちがお寺や児童施設などに分かれて生活していたわけですが、そのうちの一人が機銃掃射で亡くなったということを、戦後八王子で教員となった古世古さんは知るわけですが、その子の名前も学年も、亡くなった日も正確にはわからない。それを長い時間をかけて調査し、作品化していったご苦労(モノカキにとっては、それはある種の“喜び”でもあったと思います)は、『ランドセルをしょったじぞうさん』の続編『かかしの家』の長い後書きで紹介されています。その過程の中で、亡くなった子の母親が、疎開先の一つだった相即寺の地蔵堂の中の一体の地蔵に我が子の面影を見て、遺品のランドセルを背負わせていた、そしてそれを住職が大切に守ってきた、という事実も発掘するわけです。戦争の物語というのは、それ自体もドラマですが、その取材過程もまたさまざまなドラマがあることが多く、この作品の場合も、本当に古世古さんの執念が悲劇の実相を露わにさせていった典型例だと思います。

そして、10年前、戦後60年の際に、古世古さんは、元の疎開児童や地域の人たちに呼びかけて、地蔵堂のある相即寺で法要を行い、記念の集会が持たれました。その際に、協会に後援依頼があり、その後も8月8日に集いが続けられていたようです。今年戦後70年の節目ということもあり、古世古さんの講演も聞きたいと思い、参加しました。寺に着いたら、最上一平さんがスタッフとして靴を入れる袋を配っていてびっくり、一色悦子さん、八王子在住の会員菊地澄子さんにも、久しぶりにお会いしました。

古世古さんは85歳になられたいうことですが、休憩をはさんで2時間近く、迫力のあるお話ぶりで、感銘を受けました。折から、八王子はこの日が夏祭りで、古世古さんのお話にもあった八王子の歴史を垣間見る感じでもありました。

【今年は、僕は】

今週、13日に秋田に帰省します。本来だとまっすぐ実家に行って両親や兄の墓参りをしなければならないのですが、秋田市に直行(実家に帰る場合は、秋田新幹線の途中の角館という駅で降ります)、翌14日の午前中に秋田市の郊外土崎という港町で開かれる「土崎空襲」70年目の祈念集会に参加の予定です。8月6日や9日の原爆が、「あと一週間、十日早く戦争が終わっていれば……」とよくいわれますが、終戦前夜の14日から15日未明にかけて空襲を受けたところがいくつかあります。埼玉県の熊谷もその一つですが、秋田の土崎港もそうなのです。当時秋田には油田があり、それが狙われました。戦争で家族を失った人たちの悲しみに違いはないとはいえ、この夜に死んだ人たちの無念さはいかばかりだったかと思います。ここ何年かそのことが気になっていたのですが、今年思い切って「最後の空襲」の現場に立ち会ってみようと思いました。

「戦争を知らない子どもたち」というのは、実は元々僕ら団塊の世代を指していたわけですが、終戦から5年目に生まれた僕が今65歳になり、「もっと戦争を知らない子どもたち」に何が語れるか、深く考えたい夏です。(この項終わり)

 

2015/08/09