藤田のぼるの理事長ブログ

32、創立75周年で、「赤旗」紙に(21,5,5)

【「子どもの日」ですが】

◎コロナ禍の中での連休、いかがお過ごしでしょうか。例年の上野公園での児童書フェスタもなく、な んだか寂しい連休です。実は僕は、昨日の5月4日に野球観戦(もちろんロッテ)に行くことにしていたのですが(連休時期はそうでなくてもチケットが取りにくいですが、今年は人数制限のために余計に大変でした)、相手の日本ハム球団にコロナ感染者が出たため中止になってしまいました。まあ、人のいるところには出かけるな、ということかと思い、あきらめるしかありません。

 今日は「子どもの日」ですが、今朝の毎日新聞の記事によれば、子どもの数は40年連続で減少、総人口に占める14歳以下の子どもの割合は11,9%で、人口4000万人以上の33カ国の中で一番低い割合ということです。少子化という問題は、下手をすると「女性は早く結婚して、子どもを産むべき」という議論になりかねないので注意が必要ですが、しかしやはり今の日本は、子どもを産んで育てたいと思っても、経済的なことも含めてそのハードルが高すぎることは事実です。特に昨年と今年はコロナ禍で少子化に拍車がかかると思われ、子どもの姿が見えない街の光景が”普通”になってしまうことが気がかりでなりません。

【75周年への思いを、「赤旗」紙に寄稿しました】

◎さて、少し日が経ちましたが、協会創立75周年ということにちなんで、4月19日付の「赤旗」の文化欄に寄稿しました。以下にその文章をコピーします。タイトルは「赤旗」編集部でつけてくれましたが、「日本児童文学者協会75年を迎えて」という基本タイトルと別に、僕の文章の最後の部分から取った「「なぜ児童文学か」問い続ける」という見出しが大きく横組みで置かれて、とても意を汲み取ってもらえた、と感じました。また、記事には、創立年の1946年9月に発行された『日本児童文学』創刊号の写真も掲載してもらいました。

 

●日本児童文学者協会75年を迎えて(「赤旗」2021年4月19日付掲載)

 児童文学の作家団体である日本児童文学者協会は、今年創立七五周年を迎えました。結成は一九四六年三月で、その準備が始まったのは前年(昭和20)年の九月ごろですから、まさに敗戦の焼け跡の中から立ち上がった組織といえるでしょう。

 創立時のメンバーには、小川未明、秋田雨雀、坪田譲治、塚原健二郎といった名前が並んでおり、この人たちの多くは、大正から昭和前期にかけて大きなムーブメントとなった、雑誌『赤い鳥』などの場で作家としての成長を果たした人たちです。また、会設立の中心的な働き手だった関英雄、菅忠道、小林純一といった人たちは、少年時代にこうした雑誌に親しんだ世代でした。つまり児童文学者協会は、戦前の『赤い鳥』に代表される童話・童謡運動の流れを汲んでいたわけですが、加えてその後のプロレタリア児童文学運動に関わった人たちを糾合する側面も持っていました。

 こうした会の性格は、創立時に掲げられた五項目の綱領の第一項「民主主義的な児童文学の創造と普及」に集約されています。もちろん、ここには新しい時代の中で子どもたちの真の成長を願う児童文学者たちの願いが込められているわけですが、もう一つの問題としては、彼らの多くが戦時中に、子どもたちに向けて戦意高揚の童話や童謡を書いていたという事実がありました。

 それをどう受けとめ、新たな児童文学を生み出していくのか、綱領に込められたこの課題は、ほぼそのまま戦後に書き手として出発した世代に引き継がれていくことになります。1950年代半ばから、古田足日、鳥越信、いぬいとみこなど若い世代による「童話伝統批判」という動きが相次ぎ、これらは1960年前後からの「現代児童文学」として結実していきますが、その間児童文学者協会の中でも新旧世代の対立として、いわば真の意味での戦後児童文学の、生みの苦しみの時期を会として経験することになります。

 会としての活動が軌道に乗ったのは、60年代後半から70年代にかけてで、例えば七一年に開講した「児童文学学校」は、作家を目指す人たちの講座の言わば老舗として、今も毎年続けられています。しかし、なんといっても会の活動の中で特筆されるのは、機関誌『日本児童文学』の発行を続けてきたことです。これも一九四六年の創刊で、僕自身学生時代に秋田の書店でこの雑誌に出会ったことで、児童文学の創作、評論を目指すことになりました。このほか、さまざまな研究会やセミナーの開催、アンソロジーの編纂、著作権に関する取り組み、国際交流活動、そして社会的メッセージの発信(最近では、日本学術会議の問題での声明発表)など、会の活動は多岐にわたります。これは児童文学という分野のある意味マイナーさ故ともいえるかもしれませんが、およそ文学団体の活動として考え得るほとんどすべての分野に手を出してきた、といえるように思います。

 そうした様々な活動の中で、では児童文学者協会が何をしてきたのか、と問われるならば、僕は「なぜ児童文学か」という命題を問い続けてきた、と答えたいように思います。児童文学は、大人の書き手が子どもに向けて、子どもの言葉で語るという、自己表現としてはある意味不思議なジャンルで、だからこそ「なぜ児童文学なのか」と問い続けることが書き手に求められると思うのです。

 創立時の敗戦後の風景の中で、そしてさまざまな意味で生き悩む子どもたちを目にする現在の中で、この問いを手放すことは許されません。 次の100周年に向けて、子どもたちとの豊かな、そして楽しい連帯の道を模索していきたいと願っています。

2021/05/05