藤田のぼるの理事長ブログ

76、ヒロシマ、そして統一教会のこと(2022,8,7)

【77年目のヒロシマでした】

・2回続きで、2日遅れになってしまいました。前回、「2日遅れているので、もしやコロナ感染?」というメールをいただいて、恐縮しました。今回もそういうことではなく、なんだかバタバタしているうちに7日になってしまいました。

 昨日は8月6日。77回目の原爆の日でした。今日の毎日新聞に、この日をなんと呼ぶかについてのコラムが載っていて、戦後しばらくの間は「原爆記念日」が主流だったけれど、今は「原爆の日」と呼ぶことが多い、ということでした。確かに「原爆記念日」は抵抗がありますね。

・11月に出す那須正幹さんの追悼本『那須正幹の大研究』(ポプラ社刊)の編集が目下急ピッチで進められています。編集委員の一人である宮川健郎さんが担当する、第一章の「那須正幹のことば」(那須さんのエッセイなどで、その生涯を振り返る)の原稿が次々にメールで入ってきて、「ああ、これからは、8月6日は那須さんを思い出す日になるなあ」とも思いました。

 そういえば、僕はまだ見てないのですが、昨日の朝日新聞で、文芸評論家の斎藤美奈子さんが、那須さんの「ズッコケ三人組」と「ヒロシマ」三部作を紹介していたようですね。

・8月に向けて、児童書の世界でも何冊かヒロシマに関わる本が出ましたが、僕が注目したのは2冊。指田和さんの『「ヒロシマ消えたかぞく」のあしあと』(ポプラ社)と中澤晶子さんの『ひろしまの満月』(小峰書店)です。「あしあと」の方は、3年前に指田さんが出され、課題図書にもなった『ヒロシマ消えた家族』という写真絵本についての本、という、児童書ではちょっと珍しいタイプのノンフィクション。これは、両親と4人のお子さんの6人家族のアルバムから選んだ写真によって、この家族の日々を構成したものですが、その6人共原爆で亡くなったのです。女の子がねこをおんぶして笑っている表紙をご記憶の方もいるかもしれません。この絵本がどうして作られたのか、どんな反響を呼んだのか、といった舞台裏の話から、この絵本が出たことによって明らかになってきたことなど、まさに「本についての本」として、とても興味深いものがありました。ノンフィクションを書きたいと思っている人にとっては、ひとつの教材にもなるのではないでしょうか。

・『ひろしまの満月』のほうは物語で、作者の中澤さんはずっとヒロシマを追いかけてきた書き手です。庭の池に棲む一匹のかめが語り手で、ここに越してきた女の子につらい思い出を語るのですが、この作品の味わいは、あらすじでは伝わりにくいように思います。ただ、「かめ」そして「月」という〈時間〉を象徴する存在が、あの時からの時間の流れと、これからの時間の行方をも感じさせ、戦争が時間を断絶させるものであることが無理なく伝わってくるようでした。

【統一教会のこと】

・さて、統一教会と政治家のつながりが連日報道され、政治家の無責任なコメントにはあきれるばかりですが、統一教会の活動が盛んになったのは、1960年代の後半あたりからで、僕の高校生、大学生時代と重なります。当時、学生運動が盛んになり、それに対抗させるために組織されたとも言われています。桜田淳子は秋田出身ですが、秋田でも(当時は「統一原理」と言っていたように記憶します)かなり活発な“布教”活動が行われていて、僕も何度も誘われたことがあります。

・僕は高校時代、ユネスコ研究会という学外サークルに入っていて、その会場は県立図書館の一室でした。秋田駅からほど近く、かつての城跡が大きな公園になっていて、その入り口辺りに県立図書館と県民会館がありました。研究会の前後、会館の前のベンチとかで本を読んだりしていると、大学生くらいの男女が近寄ってきます。毎度のことなので、「あっ、統一原理だな」と思うわけですが、僕はどんなくだらない議論でも引き受ける体質なので(笑)、門前払いはしません。

 大体、「いついつに集まりがあるので、来てみませんか」といったお誘いなのですが、僕が言ったことに反論というか、説得を試みる輩もいます。今でも覚えているのは、「神はいるか」論争で、その彼(だったと思いますが)が、世の中のものはすべて生み出したものがいるはずで、その大本をたどれば一つの存在に行き着く」というので、僕は「だとしても、それをなぜ神と呼ぶのか、大根と呼んでもいいのではないか」というと、彼はさすがに憮然として去っていきました。我ながら50年以上も前のそんなことを覚えているのは、「勝った」と思ったからでしょうか(笑)。

・ただ、学生時代、僕の周囲でもその統一原理の集まりに行ったり、合宿のようなことに参加したりということは、そんなに珍しいことでもありませんでした。当時は「カルト」という言葉はなかったように思いますが、今はどんなふうに“布教”しているのでしょうか。僕にしても、当時なにか身辺にひどくつらいことがあったりしたら、果たしてどうだったか……。「大根」にすがったかも知れません。いずれにしても、人の弱みに付けこむような、こういう集団を許してはなりません。

2022/08/07