藤田のぼるの理事長ブログ

2021年11月

52、わらび座のこと(2021,11,27)

【今回も”遅刻”になりました】

◎「5の日」に更新のブログが二日遅れになりました。ただ今回は、「つい、うっかり」ではなく、前回に書いたような事情で、この時期かなり時間がなく、二日遅れとなりました。この間、18日夜(正確には日付が代わって19日でしたが)、BS1で那須さんの追悼番組があり、ご家族のこととか、僕などが知らなかった那須さんの一面も見られて、改めて那須さんを喪ったことの無念さを感じてしまいました。那須さんについては、また書く機会があると思います。

 今日は、この後、「子ども創作コンクール」のリモートでの授賞式があり、15分の「講評」を話さなければならないので、いささか緊張しています。

【さて、わらび座の日のことです】

◎「わらび座」をご存じでしょうか。「知る人ぞ知る」という当たり前のことですが、この言い方がぴったりの所で、実は宝塚や劇団四季に匹敵する観客数を誇る劇団なのです。今はそういう言い方はしていないかもしれませんが、かつては「民族歌舞団」ということで、日本の民謡や伝統芸能を元にした踊りや劇、ミュージカルを専門にして、全国で公演を重ねているユニークな劇団です。そして、その本拠地が、今は(平成の大合併で)仙北市となっていますが、元は秋田県仙北郡田沢湖町の神代(じんだい)という所で、僕の出身地の仙北郡中仙町とは、ほど近いといっていい所にあります。

 11月に入ったころでしょうか。ネットのニュースで見てびっくりしたのですが、そのわらび座が民事再生法の手続きに入った、つまり倒産したというのです。これも「知る人ぞ知る」でしょうが、わらび座は現在はただの劇団ではなくて、地元田沢湖町に大きな専用劇場があり、ホテルがあり、地ビールも作っているという、なんというか、エンターテインメント産業の一大拠点になっていました。例えば、僕が数年前に『みんなの家出』でサンケイ児童出版文化賞をいただいた時に、秋田の兄弟や従兄弟たちが集まってお祝いの会を開いてくれたのですが、その会場はわらび座でした。ですから、地元では、劇団という以上の存在なわけです。

◎ところが、ホテルの方の問題もあるでしょうが、わらび座の公演は文字通り全国を駆け巡るわけですが、これがコロナでほとんどできなくなった、そしてわらび座には全国の中学校などから、民俗芸能の体験学習を兼ねた修学旅行生がたくさん来ていたのですが、これもできなくなった。ということで、びっくりはしましたが、倒産という事態も、充分考えられることです。

【僕とわらび座】

◎ただ、僕がこのニュースに反応したのは、僕の故郷のできごと、というだけではない理由があります。ひょっとすると、僕がわらび座にいたかもしれないという可能性もゼロではなかったからです。

 話は学生時代に遡ります。僕は秋田大学教育学部の学生で、四年生の時でした。本来なら卒業を控えている時期ですが、いろいろあって、留年が決定的になった頃でした。ちょうどその時、わらび座から声がかかったのです。演技者ではなく、「保父」として来てくれないかという話でした。

 わらび座は劇団内でのカップルも多く、その子どもたちは、劇団内の保育施設に預けられます。ただ、上記のように、団員は全国を公演でまわりますから、普通の保育園のように夕刻に親が迎えに来るということではなく、一、二カ月も親に会うことなく、その施設で暮すという、文字通りの集団保育となります。「わらびっ子」などとも言われていました。そこには(当時の言い方で言えば)保母さんが何人かいるわけですが、劇団も歴史を重ねる中で、わらびっ子の一番上(男の子でした)が高校生になるという時期を迎え、男の保育者が求められる状況になったわけです。

 最初は県教組などを通じて、県内の先生にあたったようですが、さすがに先生を辞めてわらび座に行くという人はいなかったようで、次に教育学部の学生ということで、人を介して、打診されたのでした。 僕がわらび座に魅力を感じていたのは、先に書いた”ご近所”という縁もありますが、かつて斎藤隆介さんがわらび座に在籍していたことがあるという事実でした。文芸もしくは演出部門だったと思います。僕はなにしろ隆介さんの「八郎」を読んで児童文学にはまったわけですから、その斎藤隆介とのつながりという意味でも、ご縁を感じるところがありました。

 ただ、やはり東京に出て児童文学を勉強したいという思いが強く、またここで中退という形で大学をやめてしまうと教員免許が取れない、という現実的な事情もあり、その話はお断りしました。それでも、もし、あの時わらび座に入っていたら……と、思ったりすることはなくはありませんでした。

◎そんな次第で、今回のニュースは、ショックでした。座は株式会社から一般社団法人に組織替えをして、東京のIT関連の会社の支援なども受けながら存続するようなので、まずはホッとしていますが、大変だろうなと思います。いずれ一般からの支援ということも出てくると思うので、できるだけ応援したいなとも思っています。

2021/11/27

51、コンクールの季節(2021,11,15)

【二つの感想文コンクール】

◎僕は先週の金、土と、続けて感想文コンクールの選考会でした。12日(金)は雑誌『ちゃぐりん』の感想文、13日(土)は総合初等教育研究所という財団主催の感想文です。『ちゃぐりん』という雑誌は、JA系の家の光協会の発行で、農業関係の記事はもちろんですが、お話やマンガ、料理のレシピや運勢占いなど、なんでもありの月刊誌です。学研の「科学と学習」もなくなった今、こういう雑誌は『ちゃぐりん』だけではないでしょうか。毎月「ショートストーリー」が掲載されるので、そこに書いたことがあるという会員の方もいらっしゃると思います。実は7月号には那須正幹さんの作品が載り、もしかしたら、那須さんの最後の書下ろしだったかもしれません。感想文は、7・8・9月号が対象で、その中のどの記事について書いてもいいので、通常の単行本を対象にした感想文コンクールとは違ったおもしろさがあります。

 もう一つの財団主催の感想文コンクールは、その意味では“普通”の感想文コンクールですが、僕はこの審査員になる前は正直読書感想文というものにやや拒否感を持っていた部分がありますが、もちろん最終候補になるような感想文は、本が好きな子が書いたものなわけですが、そうか、こんなふうに本と出会ってくれたんだということが実にしっかりと伝わってきて、心強くさせられます。上記の『ちゃぐりん』のほうは、JAを通しての応募なので、昨年も今年も例年通り実施されましたが、財団の方は小学校を通じての応募なので、昨年は中止、今年はなんとかできたものの、応募数はかなり減ったということでした。学校側の体制、先生方も、コロナ禍の中で、なかなかそこまで手が回らないという実態が、応募数にリアルに現れた感じでした。

【この季節は】

◎実は、この11月は、僕にとってはコンクールの季節で、かなりハードな月です。少し前ですが、11月3日には、新美南吉童話賞の選考委員会が半田でありました。この後、27日の「子ども創作コンクール」(児文協ほか主催)のリモート表彰式のために入選作品を読まなければならず、その二日後の29日は日能研の文学コンクール(中高生が対象)、そして12月1日は、やはり別の財団が主催する作文コンクールの選考会があります。

 なぜこの時期に集中するかというと、こうしたコンクールは大体夏休みをはさんで応募期間にすることが多く、9月の始めから中頃に締め切りが設定されます。そこから予備選項が始まって、候補が絞られるのが10月あたり、そうして11月あたりに最終選考ということになるわけです。今はむしろ童話のコンクールが少なくなりましたが、かつてはもう一つ二つあったり、児文協の長編新人賞の選考をやっていた時は、なにしろ長編をそれなりに読まなければいけないので、ちょっと泣きながら(笑)読んでいました。

◎ただ、児文協主催のものは別として、当然それなりの選考料ということがあるわけで、正直なところ、僕にとっては一番“稼ぐ”月でもあります。それと子どもの作文や感想文は、子どもたち自身の受け止め方にふれるという意味で貴重な場でもあり、また童話コンクールなども、一般の人の「児童文学観」が見えてくるところもあって、決して嫌々やっているわけではありませんが、できればもうちょっと時期をずらしてくれないかな、というところが本音でしょうか。

2021/11/15

50、公開研究会が無事に開催されました(2021,11,8)

【久しぶりのお集まりでした】

◎記念すべき?第50回ブログが、本来の5日から3日遅れになりましたが、これも僕らしいでしょうか。そのため1週間以上が経ちましたが、10月31日、一ツ橋の教育会館で(リモートと並行で)東京では5年ぶりとなる公開研究会が開催されました。1か月前に、リアルとリモート両方のハイブリッド開催ということを最終的に決定したわけですが、この段階では本当に集まれるかどうか、一抹の、いや三抹ぐらいの不安がありました。しかし、コロナは想定以上に収束、予定通りの開催ができました。参加申し込みでは、リアルが約70名、リモートが130名余り。当日実際に会場に来ていただけたのは50数名でした。

 会場はつめれば300人定員でしたから、ややがらんとするかなと思ったのですが、3人掛けのテーブルに1人ずつ、後ろの方は空けて、大きなカメラを始めリモート配信のための機材がかなり入ったので、むしろちょうといい感じで、ちょっとテレビ中継をしているような感じでした。

◎なにしろ、こんなふうに集まったのは、一昨年以来でしょうか。そんなにものすごい人数ではないけれど、とてもたくさんの人が集まった感じを受けたのは、そのせいもあるかもしれません。目の前に人がいて、進行につれていろいろと人が動き、机を動かしたり、飲み物を運んだり、照明を明るくしたり、暗くしたり、そんな一つひとつのことがとても新鮮で、やはり実際に集まることの感触のようなものが実感できた一日でした。

【講演とシンポジウムは】

◎講演の安田菜津紀さんは、この日の午前中もTBSのサンデーモーニングにリアルで出演されていましたから、そこから回られてきたのだと思います。さすがに放送で鍛えられているだけあって、発声や話しぶりがとても明晰で、感心させられました。冒頭で、幼い頃に、お母さんが絵本の読み聞かせがとても好きで、「1カ月に300冊」というノルマ?だったことが語られ、みんなをびっくりさせましたが、これが単なる話のマクラではなくて、ある時お父さんが珍しく早く帰ってきたので、「読んで」と絵本を持って行ったのですが、お母さんの流暢な読み(なにしろ月に300冊ですから)とは大違いに、とてもたどたどしい読みで、思わず「日本人じゃないみたい」と言ってしまったのですが、少し大きくなってお父さんが韓国籍であることを知ります。安田さんの一つの原点が語られたわけでした。お話の中心は、シリア難民のことと東日本大震災で被災した大船渡の人たちのことで、大船渡は安田さんのお連れ合いの出身地で、そのお母さんを震災で亡くしていたのでした。こんなふうにまとめてしまうと元も子もないかもしれませんが、〈公〉への怒りと悲しみ、〈私〉の哀しみがダブって迫ってくる、さすがの80分でした。

◎後半のシンポジウムは、なにしろ全体で3時間という枠なので、パネラーお一人の発言時間が合わせて15分位しかありません。ただ、それぞれにご自分の創作活動の中心的なモチーフを語っていただいて、それが本当に一人ひとり違っていて、とてもおもしろかったです。特にリモート参加の皆さんからは終了後に画面上でたくさんアンケートのご回答をいただきましたが、ひとつのテーマを深めるという点では物足りなさもあったようですが、コーディネーターのひこ・田中さんも含め5人の書き手の語りようがとても個性的で、僕はとてもおもしろく、楽しく聞くことができました。そして、それがいま書いている人たちへの“励まし”にもなったのでは、と思っています。

【残った宿題も】

◎かくて、公開研究会は無事に終了したわけですが、「無事に」というのは、一番心配だったのが、リモートの参加者に画像や音声がきちんと届くかどうかということでした。当初はこれを自分たちで、と考えていたのですが、昨年と今年の総会のように、全面リモートならなんとかなるのですが、リアルで会場で進行しつつ、配信もするというのは、技術的にかなりハードルが高いことが準備の途中で分かってきました。特に今回は参加費をいただいての開催ですから、うまく配信できなかったでは済まされません。ということで、そのための業者に頼むことにしました。20万円近くかかりましたが、当日3人が見えて、午前中から準備、その動きや機材の数々をみて、納得でした。

 ただ、それだけに、これから総会・学習交流会、公開研究会などをどんな形で開催していくのかは、宿題として残った感じです。

◎もう一つ。今回は冒頭に書いたように200人近い参加があったわけですが、僕の目論見としては、会員のリモート参加(全国から参加できるわけですから)がもう少し伸びてほしかったという気持ちもあります。内容の問題や、参加のしかたの問題など、さらに検討して、次回はもっとたくさんの方に参加していただけるようになったらいいなと、今から思っている次第です。

2021/11/08