藤田のぼるの理事長ブログ

2022年2月

61、児文協最初のアンソロジーのこと(2022,2,25)

【倉庫の整理の話を】

・このブログの今年の1月15日付で、倉庫アパートの整理の話を書きました。それを読んだ会員の方から、早速『日本児童文学』バックナンバーの注文があったりして、うれしかったのですが、その後も少しずつ整理を続けています。基本的には機関誌のバックナンバーを置くための倉庫ですが、その他にも古い書類や(協会編の)アンソロジーなどを保管しています。

 バックナンバーを整理して空いたスペースに、段ボール箱に入れていた古いアンソロジーを並べていた時でした。今もそうですが、大体協会編のアンソロジーは、シリーズで5冊とか、学年別で6冊といったパターンが多いのですが、中に一冊だけの『ねずみの町』という本がありました。「あれっ!?」と思いました。

 結論からいうと、実はこれこそ児童文学者協会初のアンソロジーなのです。協会の50年史『戦後児童文学の50年』の巻末には、資料として「編纂図書総リスト」が掲載されていますが、そのリストの冒頭「1948年」の項の最初に〈「幼年童話選・ねずみの町」(川流書房、60円)〉と記載されています。1948年ですから創立の46年から2年目の年ですが、奥付を見ると「昭和23年1月1日発行」とあり、年度でいえば47年度、正真正銘協会編纂図書第一号です。この時期、二つの編纂図書が企画され、一つが幼年童話集の『ねずみの町』、もう一つが高学年向けの『赤いコップ』で、こちらも48年のうちに出ています。『ねずみの町』には19編が収録されていて、小川未明、岡本良雄、佐藤義美、与田凖一といった名前が並んでいます。

【資料集に載せた1947年度決算書で……】

・これまでも、この本は倉庫で目にしていたはずですが、気づいていませんでした。今回、「ねずみの町」のタイトルを見て、すぐに初のアンソロジーと気がついたのは、この度刊行した資料集に収録した1947年度の決算書に、そのタイトルが載っていたからです。 これは前にも書いたと思いますが、今回資料集をまとめるに当たって、編集協力の佐々木江利子さんが、事務所の中からいろいろな文書を“発掘”してくれました。その中に創立時の1946年度、47年度の決算書というのがありました。僕も初めて目にしましたし、まさかそんな創立時の決算書が残っているとは思いませんでした。当時のことですから、謄写版印刷ですが、ガリ切りはプロに依頼したもののようで、とてもきっちりしたものでした。46年度は創立年でまだパターンも確立していないので、資料集には47年度の決算書を収録しました。

・さて、その決算ですが、この時期はまだ「銭」という単位が使われていて、総収入は104,535円94銭、支出は85,798円です。収入の内大半を占めるのが「事業収入」83,570円で、そのほとんどは印税です。そしてその中心を占めるのが、48年1月発行(奥付はそうですが、実際は47年の内に出たのではないでしょうか)の「ねずみの町」の印税51,000円なのです。つまり、総支出の半額以上をこの本の印税で賄っているわけです。もちろん、その中から編集委員や著者に支払う分もあり、これが28,000円。残りの23,000円が協会の純粋な収入となっています。

・それで、印税51,000円というのは、何部発行されたのだろうと考えてみました。いくつか計算してみましたが、この本の値段は上記のように60円なので、この金額になるのは、印税率10%で8500部というパターンしかありません(60円×8,500×0,1=51,000円)。敗戦からまだ2年余りの混乱期、紙も充分になかった時代だと思いますが、初版が8500部というのはなかなかだと思いますし、その印税の半額近くを会の運営に宛てていたことになります。この本も含めて初期のアンソロジーを、総会や公開研究会がリアルで開催できるようになったら、ぜひ展示して、創立時の会員の思いを受け取ってほしいなと思っています。

2022/02/25

60、書評の話(2022,2,15)

【3回目のワクチンを】

・前回書いたように、一昨日の日曜日(13日)、地元・坂戸市の集団接種で3回目のコロナワクチンを接種しました。市民健康センターというところが会場だったのですが、僕の家は市の端っこにあるので、車で30分ほど。同じ「集団接種」でも、1回目と2回目は東京の自衛隊の集団接種でしたから、その規模感は100分の1くらいの感じで(もっとかな?)、あっさり済みました。まあ、税金を払っているのだから当然と言えば当然ですが、こんなふうに無料でワクチンがうてるというのは、市民として守られているなという感じも持った(そのあたり、我ながらゲンキンなものです)一方、“高齢者”の僕は済みましたが、カミさんや娘にはまだ接種券も届いておらず、「間に合うのかな」という切迫感もあります。

 それにしても、ちょうど二年前になりますが、コロナが始まったところでは、ここまで長くなるとは思っていませんでした。来月には、協会の役員選挙の投票も行われますが、今の理事たちは集まって理事会が開けたのがたったの1回。5月の総会を前に、せめて4月あたりには顔を合わせた理事会を持ちたいと切望しています。

【さて、「書評」の話ですが】

・僕は「児童文学評論家」として仕事をしているわけですが、きちんとした“評論”というのはきわめて発表舞台がなく、ほぼ『日本児童文学』のみといって過言ではありません。あと、僕はライフワークともいえる「現代児童文学史」を書く場所として、『ドボルザークの髭』という個人誌を発行しています(ここしばらく資料集にかかりきりで途絶えていましたが、ようやく再開しています)。それで、一般の方の目に触れる文章としては、「書評」という形で発表するケースが一番多いと思います。

 これまで何本の書評を書いてきたか、千まではいかないにしても、何百の上の方ではあると思います。イレギュラーで書く場合もありますが、連載というか、固定した場で月に1回といった形で書くことが多いです。かつては、東京新聞や共同通信で毎月時評のような形で何冊かの本を紹介していました。共同通信というのは、全国の地方紙に記事を配信する通信社で、ですからその時期はあちこちの掲載紙が送られてきて、それぞれの地方の記事を見るのも楽しみでした。今はレギュラーで書いているのは二ヵ所で、一つはベルマーク財団の「ベルマーク新聞」(月1回発行)、もう一つは家の光協会が発行している月刊誌『ちゃぐりん』です。前者はネットでどなたでも見られます

・僕がこうした書評を書く時に気をつけているのは、「誰が読むのか」ということ。それによって選ぶ本も変わってくるし、もちろん書き方のスタイルも変わってきます。「ベルマーク新聞」は、二月に1回ですが、読むのは学校の先生方やPTAの親たちですから、僕の“戦略”としては、そういう方たちに、「へえ、こんな本が出てるんだ」というふうな関心を、いかに持ってもらうかということ。絵本、低・中学年向け、高学年以上向けの3ジャンルから概ね2冊ずつという数で、偶数月の号に載るので締め切りは奇数月の月末。今回の2月号では、低・中学年向けの1冊は、竹下文子さんの『ねこのおひめさま』という本で、これは「グリムの本だな」という、グリム童話のあまりメジャーでない話を紹介しようというシリーズの1冊目。そして高学年以上向けでは、偕成社の古典シリーズで花形みつるさんが書かれた『落窪物語』を取り上げました。つまり、この2冊には古典の「再話」という共通項があるわけで、 2冊を並べることで、子どもの本にはそういうジャンルがあるということを伝えたいと思ったのです。

 こんなふうに、毎回ではありませんが、取り上げる6、7冊のうち、隠れテーマというか、何らかの形で共通項のある本を取り上げることで、児童書の世界に興味を持ってもらえるきっかけになればと考えているわけです。

・もう一つの『ちゃぐりん』のほうは、子ども向けで、毎回1冊ずつで10日締め切りなので、4月始めに出る5月号分を書いたところ。この季節感のずれも意識しつつ、雑誌の読者は小学校の低学年から高学年まで幅があるので、毎回同じグレイドにならないように気をつけています。また実際に買ってもらうとすれば大人が介在するわけですから、時に親や祖父母たちの目も惹きそうな本も取り上げるようにしています。前にも書いたように、僕の所にはかなりの出版社から新刊本が送られてきますが、正直こういう書評を書く仕事がないと、読む範囲はぐっと狭くなると思います。その意味でも、こうしたレギュラーの書評の場を持っているのは、ありがたいことだと思っています。

2022/02/15

59、資料集の話②(2022,2,5)

【コロナの行方は……】

・昨秋ようやく収まったかに見えたコロナは、目下拡大の一途。カミさんや娘の仕事先でも感染者や濃厚接触者の話が出てきて、じわりと包囲されている実感があります。東京で連日2万人ですから、5日で10万人。1千万人のうち10万人ということは100人に1人ということですし、なにしろ検査がろくにできない状況ですから、無症状の人も含めればその倍くらいはいてもおかしくないでしょう。学校や保育園などでも感染が広がっており、子どもたちはもちろんですが、先生方が本当に大変だろうなと推察します。

・僕は2回目のワクチンを打ったのが7月12日。このプログにも書きましたが、2回とも東京の(自衛隊の)集団接種でした。ですから、今月の12日が7ヵ月目になります。今週の月曜日、ようやく3回目のワクチンの接種券が届きました。今回は地元の市でも最初から集団接種をやるというので、できれぱそこに予約しようと思っていました。土日のみで、僕にとって一番早い12、13日は1月21日から予約が開始されており、当然とっくに埋まっていると思いました。念のため問い合わせてみると、まだ空きがあるとのこと。すぐに13日で予約しましたが、前の集団接種の時はパソコンに張り付いて必死に取りましたから、なんだか拍子抜けの感じでした。

 察するに、集団接種はモデルナなので、1、2回目がファイザーだった人たちが避けているのではという気もしますが、ともかく(3回目のワクチンも絶対ではないとはいえ)あと一週間気をつけまくるしかないですね。

【さて、資料集です】

・前回、資料集に関して、「もう一つ裏話を」と書きましたが、まあそんなに「裏」の話でもないのですが(笑)、「実は……」というふうな話をひとつ。それは資料集の第四部のことで、第一部の「基本文書」、第二部の「活動方針」、第三部の「声明」は、資料集を作るということを決めた段階から、自ずから決まりました。ただ、それだけではあまりにおもしろくないので、第四部はもう少し「読みたい」と思われるようなものを載せたいと思いました。

 それで、当初は、75年の歴史の中でトピックになるようなできごとについての資料を、機関誌や会報の記事から選んで載せようかと思っていました。例えば1960年の安保闘争に協会がどう関わったのか。これに関しては、声明とかは第三部に載るわけですが、前年の総会をめぐって「長老」である坪田譲治と「若手」の古田足日の論争(?)が『日本児童文学』に載っていることを知っていましたから、そういう当時の人たちの“肉声”が伝わるものを載せたいと思ったのです。それでいくつか候補をピックアップしていましたが、そうしたら最後にくるのが、那須正幹さんが会長在任時代に問題提起した、児文芸との合併案についての会報の報告記事でした。これについては、会報の前号の那須さんの追悼文の中で少し触れましたが、やはり協会にとって「歴史的」な提案だったと思います。

・ただ、どういうできごと、記事を選ぶかについては、どうしてもその選択が、言わば“好み”になってしまいますから、躊躇もありました。そうした折、『日本児童文学』で、75周年企画として、過去のバックナンバーから時代をよく示しているような記事をピックアップして載せようという話があり、資料集は読者も限られますから、僕が考えていたような内容は、こっちの企画で扱う方がいいだろうと考えました。今連載中の「プレイバック『日本児童文学』」がそれです。(で、第四部は各分野の活動に関する資料となりました。)

 ところが、上記の児文芸との合併話の記事は、会報ですから、これには載せられません。それがちょっと残念だったのです。つまり、最初の僕の構想では、協会の75周年記念資料集の最後が、言わば児文協をなくしてしまう、他団体との合併の話ということになったわけで、これはこれでなかなかアナーキー(?)でおもしろかったのではないかと、ひそかに思っているわけです。まあ、批判もされたでしょうけど……。

2022/02/05